掌編小説【カップ焼きそば】
カップ焼きそば。彼女から名乗ることは一度もなかったが、表面に記されたその名を僕は忘れることはないだろう。彼女を平らげ、全てを胃に収めてしまった後でも。
彼女と出会ったのは必然だったのかもしれない。空腹に耐えかね、住処の外へと飛び出した僕。明るい蛍光灯の下で艶やかな表面を輝かせ、数多の視線、肉欲に塗れた下衆な視線にその身を委ねていた彼女。気がつけば僕は、彼女と手を取り合い、歩き出していた。僕はもう彼女の事しか考えられなくなっていた。対価として払ったのは数枚の小銭。安いものだ。彼女が手に入ったのだから。
帰宅後、すぐに湯を沸かす。前戯などというまどろっこしい時間は僕と彼女にとっては邪魔なものでしかなかった。湯が沸くまで待つなんてことはしない。その間にも僕たちは互いを知り合う。彼女の表面を覆う、黒く艶やかな柔肌。僕は躊躇うことなく、爪を立て、引き裂き、全てを脱がした。薄く柔い膜の内側。そこには、白くきめ細かい肌が隠されていた。僕以外は知らない姿。僕以外には見せたこともない、美しい素肌。僕は唾液を飲み込むことに必死だった。
ちろりと下腹部からはみ出た彼女のソレを、僕はつまむ。先程とは違い、今度は慎重に持ち上げていく。ゆっくり、ゆっくりと。全てを剥がしてしまわぬように、彼女を傷つけてしまわぬように。
彼女の内側から醸し出される香りは彼女自身の本質を表しているかのようで、僕の鼻腔を豊かに潤した。彼女を感じることができた瞬間の一つだった。
彼女の上に、乾ききった具材を乗せていく。ころりころりと転がる姿は小動物のように可愛らしく、それを受け止める彼女の姿もまた、慈愛に満ち、愛おしく感じられた。僕は躊躇うことなく、彼女のその淫らな裸体の上に、全てをぶちまけたのだった。
ちょうど、そのときだった。けたたましく鳴り響く汽笛。湯が沸いたのだ。待ち望んだ瞬間であった。
半分ほど口を開けた彼女の内側に、沸騰した液を注いでいく。どぷん、どぷん。彼女は抵抗することもなく、大量の液を飲み込んでいく。もくもくと立ち上がる湯気に混じるのは彼女の奥の奥の匂い。ゾクゾクと背筋に走るものを感じる。湯を注ぎきった後の彼女の姿は見るも無残なもので、全身が液に浸り、コポコポと小さく泡を吐き出していた。僕は口元に小さな笑みを浮かべながら、彼女の口に封を施した。3分。たかが3分が何年にも何百年にも感じられた。もう耐えきれない。そんな時だった。祝福の鐘が鳴り響いた。
彼女の上半身に開いた小さな穴。体を傾けると、少しも耐えることができぬまま、彼女は自らの内に封じ込めた液を垂れ流し始めた。液体の垂れ流れる音。垂れた液がシンクに落ち、弾けて響く音。彼女自身の汚れに染まった液が、否応無しに排出させられる、淫靡な行為。最後の一滴が垂れ落ちるまでその行為は続けられた。
そしてついに、僕は彼女の全てをあらわにした。一度は中程で手を止めたその薄皮を、今度は最後まで。全てを取り去り、あられもない姿へと。銀色の内側に幾つか張り付くのは濡れそぼった青菜。白い湯気の向こう側に見える彼女の姿は、酷く扇情的に思えた。
柔く、艶やかに膨らんだ彼女の体。僕はその肉体に、黒く汚れた液体を回し掛けた。どす黒く染まり、汚れていく彼女の白い肌。彼女を僕の色に染めていく。そう言っても過言ではなかった。
しばらくかき混ぜると、彼女の体にはもう、元の綺麗な白色は残っていなかった。全身に染まった塩気を含む茶色。トドメとばかりに僕は彼女の上に粉を振りまく。中毒性のある粉。完全に彼女は僕のモノとなった。
僕は彼女の目の前に座し、両手を合わせ、箸を掴んだ。細く艶やかな彼女の肢体を、啜る。喰む。噛む。また、啜る。僕は彼女に溺れていた。僕自身の肉欲に溺れていた。口の周りが彼女の液で汚れても、流れる汗が鼻を伝っても、僕は彼女を食べ進める事をやめなかった。
食べる。食べる。食べる。それ以外の事を忘れたかのように。それ以外の行為など、必要ないとでも言うかのように。僕は彼女と二人、時間を過ごした。ただ、幸せな時間だった。
ご馳走さま。彼女はもう、そこにはいなかった。転がる箸に張り付く青海苔。僕はあまりに充足した気分で、ごろりと寝転がった。枕元の窓からは、晴れやかな空が燦々と覗いていた。
汚く喉を鳴らすと、喉の奥からは微かに彼女の匂いが立ち上っていた。もう、季節は春だった。